兄に特徴的なのは、
自分はなんの疚しいこともしておらず、
家の長い歴史(江戸時代から)のなかでも最良の跡取りである、と言う幻想のなかで生きていて、
しかも、その幻想を事実であると実際に周囲に誤認させることが出来ている、と言う、驚くべき才能であろうと思っています
実際には、家の歴史がはじまって以来の、財産を食いつぶしてしまった最悪の跡取りでした
かつては多額の財産が存在していましたが、兄の管理の下で、ほぼなくなり、
今後も減少し、消滅して行くでしょう
兄は事業にも財産の管理にもすべて失敗をして来ました
努力して家の財産を増加させたということがありません
贔屓目に見ても、事業や財産管理の才能が有りませんでした
適材適所という言葉がありますが、
適材でも適所でもない一人の跡取りが財産管理を請け負い、結局、先祖が努力のなかで積み上げてきた財産を消失させてしまいました
しかし、兄は、それとは正反対の、虚構の実績を作り上げて、
自身の莫大な財産の使い込みを数十年間ひたすら隠し、自分は有能な財産管理人であると言う虚像を周囲にアピールする才能ということでは有能でした
M信託銀行も兄の使い込みをまったく知らずに公正証書遺言の作成を引き受けており、
今回の、これからはじまります私との裁判を引き受けた弁護士も兄の使い込みを全く知りませんでした
自分の良好な外見を阻害するものは徹底的に隠し、穏やかな、誠実な態度で、周囲を巻き込みますが、
その驚くべき使い込みの額などが結局周囲に分かってしまっても、どういう関係を作っているのか、周囲は彼の虚像を必死に守っている、と言うのに私は驚嘆します
「それがなんの問題があるのか。公正証書遺言が存在する以上そんなこと(兄の多額の使い込み)はなんの意味もないではないか」
とM信託銀行は先の調停の答弁書で私に明確に言って来ました
「何の問題もない」でしょうか?
そうすると、同様の、他の相続のケースでも総て何の問題も無くなりますが、信託銀行の業務と言うのはそんな風に今後も続けられてゆくのでしょうか
その先には何がありますか
公正証書遺言だけが存在し、道理も道義もない世の中、というものを彼等は目指していますが、そんな不快な世の中で、じつは、彼ら自身も今後終生生きて行くのです