こちらに載せている写真は総て私が撮影したものです
だいたいの時期は分かるので、
ああこの写真はあの時のものだったな、とか、あの頃はこんなことがあったな、と、記憶が呼び起こされてきます
なかには、とても忘れられないような苦しい時もあって、
なんとか自分は凌いでこれたんだ、と思い出す写真もあります
失敗ばかりだったけれど、それなりに自分は頑張ってきたのだろう、というような思いも、
写真を見ながら感じています
思うに、譲歩する、と言うのは結局良い方向には行かないことが多いような気がします
こちらの譲歩を、相手が、好意的に対応してくれればいいのですが、
そういう、穏やかで、良心的な場面というのは人生にはほとんどありません
もしよくある、と言う人は、幸運のなかで生きてきたということではないのでしょうか
譲歩すれば、あいつは逃げた、これ幸いとばかりに、とことんこの状況を利用してくるのが普通の世の中です
こういう人達には善意とかは意味がありません
公正証書遺言の多くの無効を求める裁判を経験した人は身をもってそのことを感じたはずでしょう
まずは反撃すべきでは無いでしょうか
最終的には譲歩するにしても、相手方を楽に勝たせてはなりません
そうでないと、相手方も、これでいいのだと一生気が付かないまま詐欺師を続けるでしょう
楽に勝てると思ってたら、とんでもない苦しい戦いになっちまったぞ。あ、もしかして、俺は間違っていたかもしれないぞ?と、ほんの少しでもいいので相手の目を覚まさせましょう
あなたや私のほんのすこしの勇気が、我が国を、人間社会を、あるいは国際社会を、良い方向に向かわせる一つのきっかけになるかもしれないのです