1970年代の半ば頃だったでしょうか、
家の庭で親や兄弟とバーベキューをした夏の夜を何故か昨日のようにまざまざと、思い出し、その映像が浮かんできます。
「なめこのお味噌汁があるんだ!」と誰かの弾んだ声が今でもはっきり聞こえます。
まもなく父に結婚を反対された兄は父に暴言を浴びせるようになり暴力までふるいました。
一度は家を出た兄ですが、生活できずに家族で出戻ってきます。態度は相変わらず。
そんな兄の態度に父はなにか私に関して兄に言ったのでしょう、兄は私に対して「お前には一円の財産もやらない」という態度が日常化してきます。
そんな兄の私への態度のまま40年が過ぎました。
姉等は父の相続では、父から私に遺贈すると唯一遺言のあった賃貸物件を本当は私たちにくれると言っていたんだ!と言い始めます(ところが訴えはしません)
その賃貸物件に父の好意で無償で(!)入居していた姉の一家は、私がこのまま入居するなら相場の家賃を払ってくれ(私が相続したのはこの賃貸物件だけだったので、余裕はあまりありませんので)、私もアパート住まいで家賃は払っている、と言うと「家賃払うくらいなら出て行ってやる」と実家に家族全員で出戻りです(ここでも家賃を払わない)
その後姉はあれやこれやなにかにつけて姉には関係ないことまで私にケチ付けで、これもその後40年。
兄に父の相続後を任せましたが、兄を信頼して任せたのは結局私の一生の不覚でした。
特に社会であまり評価されなかったような人は、実家の財産にしがみ付くようにこだわるものです。
私はある程度の財産をもらえればよい、と思っていましたが、兄や姉等は、そうではなく、
もらえるものはできるだけ多く貰いたい、という、決意というかほとんど信念がありました。
まあ、こうなってくるととても兄弟でバーベキューとはいきませんね。